1 Egg ★@\(^o^)/ 2016/12/31(土) 09:52:54.83 CAP_USER9
レオーニは1984年6月30日、スイス生まれの32歳。地元のFCシオンの下部組織で育成されてトップチームデビューを果たすと、2003年に名門チューリッヒへ移籍して9シーズンプレーした。
2005年に年上の選手から正守護神の座を奪うと、2009/10シーズンにチャンピオンズリーグ出場を果たし、ミラン戦ではスーパーセーブ連発でジャイアントキリングの立役者となった。
スイス代表としても2010年の南アフリカW杯に第3GKとして参加し、翌年の親善試合で1キャップを記録している。そんな実績豊富なベテランGKが日本で現役続行を望む理由は家族の存在だ。
「スイス以外では人生最高の経験をできている。人々はみんな親切だし、食事もすごくおいしい。家族は日本に住んでいないんだけど、もう4回も遊びに来ている。家族も僕と同じことを感じているみたいだ」
レオーニには妻と2人の子供がいる。今回のJリーグ移籍では9ヶ月間も家族と離れて暮らさねばならなかったが、「妻は僕がまだプロとしてプレーしたがっているのを理解してくれていた」ことで日本行きを決断した。
ピッチ内でチームメイトや監督の信頼を掴んだレオーニは、日本の文化や習慣への適応にも努力を惜しまなかった。車の左側通行や食生活にもすぐに馴染み、「箸もすぐに使えるようになった」と語る。ヨーロッパではほとんど経験したことのなかった地震も苦にしない。
「僕の第一希望は間違いなく日本に残ることだよ。目標は都会でクラブを見つけること。そうすれば家族が日本に来て、子供たちをインターナショナルスクールに通わせることができる。僕にとっては家族みんなが一緒にいることこそ重要なんだ」
長野を退団したが、来年からは家族と一緒に暮らしながら日本でプレーする道を模索している。レオーニにとって日本はキプロス、アゼルバイジャン、ポルトガルに続く4度目の海外挑戦で、過去にないほど充実した日々を送れたことが理由だ。
チューリッヒを退団した後、キプロスのACオモニアに加入したレオーニは満足なプレー機会を得られず半年でアゼルバイジャンのネフツチ・バクへと移籍した。その当時は「日々の生活を楽しめていなかった」と振り返る。
「スイス国外での生活は僕にとって簡単ではなかった。これまでの人生、たくさんのことがあった。キプロスでは金銭面に問題があってプレーできなかった。大きな契約を結んでいたんだけど、プレーを辞めざるをえなかった」
ピッチ外の問題を抱えたまま短期間で2ヶ国を渡り歩き、キャリアは下降線をたどっていった。アゼルバイジャンで半年プレーした後、ポルトガルのマリティモに新天地を求めるも出場機会はわずかで、2014年からは母国へ戻って2部のル・モンに在籍。ここ数年は苦しい日々を過ごしてきた。
そんな中で選んだアジアという未知の領域への挑戦。「チャレンジをしたかった」レオーニは、家族の理解を得て日本からのオファーに即答した。9ヶ月のプレーを経て、今では「いい選択だったと思う。日本は大好きだ」と笑顔を見せる。
スイスで主に使われるドイツ語だけでなく、英語もネイティブ並みに操る。妻の影響でポルトガル語も理解し、ブラジル人選手ともコミュニケーションを取れるレオーニは、短い期間でピッチ内外において本物のプロフェッショナルであることを示してきた。
そして家族にとってはよき夫であり、またよき父である。「僕はまだ32歳。自分ではまだ若いと思っているし、いまは日本のGKたちが前に進み続ける力をくれている。このリーグには38歳や40歳でもフィットしているGKがいる。それが僕の目標だよ」と語る“パパさん守護神”はJリーグでのさらなる活躍を夢見て挑戦を続ける。
(取材・文:舩木渉)
https://www.footballchannel.jp/2016/12/31/post192380/2/
2005年に年上の選手から正守護神の座を奪うと、2009/10シーズンにチャンピオンズリーグ出場を果たし、ミラン戦ではスーパーセーブ連発でジャイアントキリングの立役者となった。
スイス代表としても2010年の南アフリカW杯に第3GKとして参加し、翌年の親善試合で1キャップを記録している。そんな実績豊富なベテランGKが日本で現役続行を望む理由は家族の存在だ。
「スイス以外では人生最高の経験をできている。人々はみんな親切だし、食事もすごくおいしい。家族は日本に住んでいないんだけど、もう4回も遊びに来ている。家族も僕と同じことを感じているみたいだ」
レオーニには妻と2人の子供がいる。今回のJリーグ移籍では9ヶ月間も家族と離れて暮らさねばならなかったが、「妻は僕がまだプロとしてプレーしたがっているのを理解してくれていた」ことで日本行きを決断した。
ピッチ内でチームメイトや監督の信頼を掴んだレオーニは、日本の文化や習慣への適応にも努力を惜しまなかった。車の左側通行や食生活にもすぐに馴染み、「箸もすぐに使えるようになった」と語る。ヨーロッパではほとんど経験したことのなかった地震も苦にしない。
「僕の第一希望は間違いなく日本に残ることだよ。目標は都会でクラブを見つけること。そうすれば家族が日本に来て、子供たちをインターナショナルスクールに通わせることができる。僕にとっては家族みんなが一緒にいることこそ重要なんだ」
長野を退団したが、来年からは家族と一緒に暮らしながら日本でプレーする道を模索している。レオーニにとって日本はキプロス、アゼルバイジャン、ポルトガルに続く4度目の海外挑戦で、過去にないほど充実した日々を送れたことが理由だ。
チューリッヒを退団した後、キプロスのACオモニアに加入したレオーニは満足なプレー機会を得られず半年でアゼルバイジャンのネフツチ・バクへと移籍した。その当時は「日々の生活を楽しめていなかった」と振り返る。
「スイス国外での生活は僕にとって簡単ではなかった。これまでの人生、たくさんのことがあった。キプロスでは金銭面に問題があってプレーできなかった。大きな契約を結んでいたんだけど、プレーを辞めざるをえなかった」
ピッチ外の問題を抱えたまま短期間で2ヶ国を渡り歩き、キャリアは下降線をたどっていった。アゼルバイジャンで半年プレーした後、ポルトガルのマリティモに新天地を求めるも出場機会はわずかで、2014年からは母国へ戻って2部のル・モンに在籍。ここ数年は苦しい日々を過ごしてきた。
そんな中で選んだアジアという未知の領域への挑戦。「チャレンジをしたかった」レオーニは、家族の理解を得て日本からのオファーに即答した。9ヶ月のプレーを経て、今では「いい選択だったと思う。日本は大好きだ」と笑顔を見せる。
スイスで主に使われるドイツ語だけでなく、英語もネイティブ並みに操る。妻の影響でポルトガル語も理解し、ブラジル人選手ともコミュニケーションを取れるレオーニは、短い期間でピッチ内外において本物のプロフェッショナルであることを示してきた。
そして家族にとってはよき夫であり、またよき父である。「僕はまだ32歳。自分ではまだ若いと思っているし、いまは日本のGKたちが前に進み続ける力をくれている。このリーグには38歳や40歳でもフィットしているGKがいる。それが僕の目標だよ」と語る“パパさん守護神”はJリーグでのさらなる活躍を夢見て挑戦を続ける。
(取材・文:舩木渉)
https://www.footballchannel.jp/2016/12/31/post192380/2/